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新しい出発

第六課 救いと信仰

 多くの人は、信仰と言われると、まじめで熱心な心がけだけを思い浮かべるようです。とりあえず信じていることが大事で、対象が何であってもかまわないと思っているのです。けれども、聖書が教えている信仰は、そういうものではありません。

1.信仰とは

 もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのでず。(ローマ10:9〜10

 このように神は、"イエス・キリストを救い主として信じる"ことを求め、"そのように信じる者を救う"と約束されました。神は私たちに、この申し出を受け入れて欲しいと、強<願っておられるのです。

@救いの約束を知る

 信仰は、まず、神の申し出の内容を知ることから始まります。わけも分からないまま、ともかく信じ込めと要求しているのではありません。神の約束は何か、その約束を実現するために神は何をされたのかをよく知って、真剣に答えることが大切です。今まで学んで来たことを、もう一度、振り返ってみてください。

信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことぱによるのです。(ローマ10:17

A救いの約束を受け入れる

 また、約束についての知識があるというだけでも不十分です。神の約束を真実なこととして受け止め、それが自分に必要なものだと認める、そのうえで、約束が自分に実現するようにと神に願う。これが、神の約束に対するふさわしい応答です。

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。(ローマ10:3

B救いの約束を信頼する

 信仰とは、ただの感情や一時的な思い込みではありません。自分のすべてをかけて、神と神の約束を信頼することなのです。その中でも、悔い改めることとゆだねることの二つは、特に大切です。

『悔い改める』

 悔い改めとは、単なる後悔の念や、自己変革の努力ではありません。自分は神の前に罪人であることを認め、心からその罪を悲しむ。そして、罪に背を向けて、神に対して方向転換をすることなのです。

あなたがたの罪をぬぐい去っていたただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。(使徒3:19

『ゆだねる』

神は、私たちを最善の道に導いてくださろうとしています。このような方に心を明け渡し、ゆだねていくことが大切です。

 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示3:20

 主は、私たちの心に入りたいと、堅く閉ざされた心の扉の前に立って、たたいておられます。自分に固執するのでなく、心の扉を開いてキリストを受け入れましょう。神を信頼して生きる歩みを始めるのです。

『信仰と行ない』

 多くの人は、何かの功績をあげなければ救われないと考えています。たとえば、善行・寄付・戒律・修行・儀式などが、それです。しかし、これらのことによって人が救われるわけではありません。神の約束は“行ないではなく、信仰による救い"です。

 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分目身から出たことではなく、神からの賜物てず。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためでず。(エペソ2:8〜9

しかし、救われた人にとっては、この大きな恵みへの感謝と神への愛から、神に喜ばれる生き方をしたいと願うのも、こく自然なことでしょう。

 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのでず。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2:10

2.救いとして与えられるもの

では、神は救いとして、どのようなものを与えてくださったのでしょうか。

@罪をゆるされる

神はキリストが十字架で死ぬことで人の罪をゆるす、と約束してくださいました。ゆるされた者は、もはやその罪の責任を問われることがありません。

私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。(エペソ1:7

A義と認められる

 聖書の中で、義とは、神の求められる基準を満たしているということです。罪を犯している私たちは、決してそれに達してはいません。けれども、神は、キリストの十字架のゆえに、信じる者を義と認めてくださいました。これによって、私たちは神と正常な関係を回復することができるのです。

 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、値なしに義と認められるのです。(ローマ3:23〜24

B神の子どもとされる

 神は私たちを、子どもとして迎え入れ、愛してくださいました。こうして私たちは、゛天のお父様" と呼びかけて親しく祈ることができるのです。この愛から私たちを引き離すものはありません。

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12

C自由を与えられる

 神は私たちに自由を与えられました。罪を離れて生きる力を与え、様々なものにとらわれて生きることから、私たちを解放しました。私たち自身は無力ですが、神が力を与えてくださるのです。

 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。(ローマ6:6

D永遠のいのちを与えられる

 神のもとに立ち返ることで、人は真に生きるようになりました。罪によって、いのちを失った者たちに、新たな、そして本物のいのちを与えたのです。 また、地上での生涯が終わっても、天国で神と共に永遠に生きることができるようになりました。

 わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ5:24

○質問 *質問の答えまた感想を、牧師にメールしてくだされば、あなたの求道をお助けすることができます。

1.救われた人は、どうなるのでしょうか。神の約束を思い出して、正しいと思われるものに(レ)印をしてください。

(  )罪の責任は自分で取り、罰を受けなけれぱならない。

(  )キリストが十字架で死なれたので、信じる者はもう罪を問われない。

(  )人は罪に汚れているので、神とは縁遠い。

(  )神と私たちとは、あがの他人だ。

(  )私たちは、神の子どもとして、親密なつながりを持てる。

(  )人はいろんなものに縛られているので、自由ではない。

(  )神の救いは、人を自由にしてくれる。

(  )救われても、寿命がきて死んだら、それでおしまいだ。

(  )救われると、永遠のし、のちが与えられると約束されている。

2.あなたは、神を信じるということの意味について、次のような考え方をどう思いますか。

a.キリスト教はおもしろそうで、かっこいいから、中身はあまり知らないし、特に必要性も感じないけれど、とりあえず信じることにした。

b.私は、努力して聖書の教えを完全に理解し、その生き方を実行できるように頑張っている。それがうまく行ったら、信じたと言えるだろう。

c.自分にそれが必要だと思わないが、キリスト教の教えは良く理解している。だから、一応信じていると言っても良いのでは。

d.たくさんのことは知りません。でも、イエス様が私のためにしてくださったこと、その意味は分かりました。私は、救いを与えてくださるこの方に自分をゆだねたいのです。

3.あなたは、何を期待して、イエス・キリストを信じることにしましたか。率直に、話してみましょう。

4.あなたは、救いの約束を受け取りたいと、はっきりと答えましたか。
もしもためらいがあるとすれば、それは何が理由でしょうか。あなたの持っている戸惑いをぶつけてみてください。

 

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