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礼拝(2010年1月1日)

『新しい事・新しい歌』イザヤ書42章6~10節)2010.01.01 2010年元旦礼拝

* 昨年松井牧師一家を迎えて、教会は新らしい態勢となったが、またいろいろ変化が見られた年でもあった。そうしたことで何か目新しいことと言うよりも、新年は期待を主に向けて、主が何か新しいことをしようとしておられることに私たちは着目したい。

Ⅰ 【イザヤが見た新しい幻】
①痛んだ葦のようなイスラエル。
* イザヤは若い時からイスラエルに奉仕して来たが、彼が見てきたイスラエルは痛んだ葦・くすぶる灯心であった。しかも回復上可能なほど折れていて、その部分は腐れていた。「覆水盆に返らず《の諺のごとく、人間的には全くの絶望であった。
②イスラエルの神の新しい幻。
* しかしイザヤは神を見上げた。それはアブラハムの神であり、イスラエルをエジプトから導き出された神であった。するとそこにイザヤは新しい幻を見た。それはイスラエルの反逆の心を癒されるという幻であった。それは新しい神のわざであった。
③神のなさる新しい事。
* しかも癒された民は、自分の心のうちに成された御わざに対して、新しい歌を歌う。イスラエルはなぜ反逆してきたのか。それは反逆の心を持ったままであったからである。そのためモーセのような救い主が来て、今度は民の反逆の心を癒される。

Ⅱ 【今年の浦和教会】
①教会総会において。
* 昨年の年会において、松井牧師たちの任命をいただいた。この1年はいわば移行期間であった。1月の教会総会においては、教会として移行が完了したことを宣言する。愛兄姉はいよいよ新時代に入ったことを認識し、協力体制をとっていただきたい。
②年会において。
* 年会においては代表の任命を通して、この形がはっきりとする。しかしそれは教会総会での宣言が形になっただけであって、年会を待たねばならないということではない。新垣については神が召してくださった召しを全うするために祈っていただきたい。
③大牧者を見つめて。
* 浦和教会を真の意味で牧しておられる方は、大牧者である主イエスである。この方は新しい事に向かって前進しておられる。私たちはこの方についていけばよいのである。このため新年は個々人がしっかりとしたディボーションを打ち立てたい。

Ⅲ 【私たちの新しい事】
①神に期待する。
* ある方々にとっては、これは今まで通りのことというかも知れない。しかしこれは、信仰がなければあり得ない新しいことである。神は常に常に新しい事をされる。これからはそれは思いもよらないことであるかも知れない。しかし従って行こう。
②信仰に生きる。
* 神に期待し続け、従い続けるためのキーは「信仰《である。神の思いと少しでもずれたところが見出されたときは、そこが患部であることを思って委ねて明け渡して癒していただこう。信仰があれば、必ずこのことを完成することができるはずである。
③決して失望しない。
* 信仰は旧約においては「待ち望む《と表現されているように、忍耐を伴ったものである。神は浦和教会を新しいことへ導こうとしておられる。決して失望しないでどこまでも信じ続けて、主に従って行こう。こうして私たちが受け取ったバトンを全うしよう。

<結論>*「新しい事《を告げてくださった方から、目を離さない。人間の時代は淡々としかも着実に過ぎ去っていく。しかし私たちは神に根づいている限り、永遠の土台に根づいているのである。この年、何があっても主を見上げて進もう。(A.S.S.)


 

                       
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