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礼拝(2010年2月28日)

『婚礼の礼朊』マタイの福音書 22章1節~14節) 2010.2.28.

婚礼は人生の中でも際立った喜びの時であり、ここでは「天の御国」(2)の大いなる喜びを表している。神様はそこへすべての人々を呼び寄せ、喜びを分かち合いたいと願っておられる。しかし「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」(14)と主は言われる。

Ⅰ 最初の招待客
①念入りな招き(3、4節)
王は招待客に事前に案内し、当日改めて声を掛けたが「彼らは来たがらなかった」ので、再度丁重に招きの言葉をしもべに託した。主は私たちを天の御国に招くために何度も使者を遣わし、御子さえも惜しまずに与えて(ヨハネ3:16)、準備万端整えてくださった。
②あからさまな反逆(5、6節)
招待客には、再三の招きを「気にもかけず《無視して他用に出掛けた者がいた。婚礼よりも、自分のしたいこと、いつでもできることをあえて優先した。また、しもべを辱めて殺し、敵対行為をも楽しんでいる者もいた。これがユダヤ人、ひいては私たち人間の姿である。
③王の怒り(7節)
「人殺しを滅ぼし、その町を焼き払《う王の怒りは残忍すぎると、責める人もあろう。しかし、しもべが殺されている事実を見過ごしにしてはならない。救いをもたらすために遣わされた御子イエスをユダヤ人は拒絶し、殺した。その結果、彼らは今なお苦しんでいる。

Ⅱ 広げられた招き
①用意できている宴会(8節)
既に先の招待客のために宴会の食事の用意は整っていた(4)が、これを味わうにふさわしい列席者がいなかった。主イエスの十字架の死と復活によって、すべての人を救う神の恵みが2000年前に明らかに示されている。これに与るにふさわしい者とは誰であろうか。
②出会った者ならだれでも(9節)
王は新たな客で宴会の席を満たそうして、しもべに「出会った者をみな《招くように言いつけた。神様は、今もしもべを大通りに遣わして、出会いを通して天の御国に招こうとしておられる。私たちの生活の小さな出会いを通して、神様からの招きが伝わりますように。
③良い人でも悪い人でも(10節)
しもべたちは見た目や印象で招く相手を選別せず、手当たり次第出会った人を招いた。キリストの救いは悪人のためだけでなく、道徳的に真面目に生きてきた自称「善人」のためでもある。救いは努力や頑張りへの報いではなく、贈物であり、これを「恵み《と呼ぶ。

Ⅲ 婚礼にふさわしい人
①招きに応じる人(10節)
宴会場は招きに応じた人たちで満ちた。差し出された恵みの招きを感謝して受け取る者には、誰にでも惜しむことなく、神様とともに生きる特権を与えられる。先に招待された人たちは、この点で「ふさわしくなかった《(8)。恵みを拒むことは大変危険なことである。
②備えられた礼朊(11、12節)
ユダヤでは、婚礼の礼朊として白い衣が用いられ、招いた王側でこれも用意されていた。一人だけ礼朊を着ていないのは、礼朊を着るのを拒んだからである。救われた者には、神様はきよい心と義しい生活も備えられ、受け取る者に分与される。
③選ばれた人(13、14節)
礼朊を着用しなかった人は外へ放逐された。宴会に出席できたのは、招きを受け、それに応じ、備えられた礼朊を着用した人たちである。彼らの応答が選抜の条件であった。救いは決して運命論的なものではなく、人の自由意志への働きかけによる選びである。

<結論> 主イエスを救い主として信じ受け入れ、神の子となる特権を与えられたことはすばらしい恵みである。ならば、神の子にふさわしい「光り輝く、きよい麻布の衣」(黙示19:8)を祈り求めるのが自然であり、必要である。

 

                       
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