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礼拝(2010年3月14日)

『主のためにできることを』マルコの福音書 14章3節~11節)  2010.3.14.

年会を越えて、教会は月末の受難週への歩みにある。この物語はマルコの福音書では受難週の出来事として描かれているが、ヨハネの福音書12章によると受難週直前(1,12)であり、マリヤが主イエスに油を注ぎ、それをイスカリオテ・ユダが非難したとわかる。

Ⅰ 非難と賞賛。
①注がれた油。
インド産の椊物の根から採れるナルドの香油は、非常に高価であった。しかも純粋なものなら、なおさらである。これを、マリヤはイエスに惜しみなく注いだ。注がれた油は約300グラム(ヨハネ12:3)で、その価値は300デナリ以上(5)と労働者の年収に匹敵する。
②浴びせられた非難。
この行為を無駄遣いと見たユダは「貧乏な人たちに施しができたのに《と厳しく非難したが、それは彼が着朊した分を穴埋めする機会を逸したことを惜しんでの発言であった。金策に失敗したユダは、イエスを祭司長たちに売り渡すことへと突き進んで行った(10-11)。
③イエスの評価と賞賛。
しかしイエスは、彼女の行為を擁護し、むしろ賞賛された(6)。人間的な評価と、神の評価は必ずしも一致しないことがある。人の目は軽はずみで偏っていることが多いが、神は常に公正なお方である。主イエスが「立派なこと」と評されるのは、どんなことなのだろうか。

Ⅱ マリヤの行為。
①主のためにしたこと。
マリヤは主イエスを喜ばせようとして、香油を頭に注いだ。油を注ぐ行為は、客に対するねぎらいや栄誉を表すとともに、神の御前に聖別するという意味合いもある。メシヤの語意が「油注がれた者」であり、彼女のイエスに対する深い理解からの行為と見られる。
②自分にできること。
彼女は自分の持っている香油を主に注いだ。「できることをした」のであって、能力以上のことを主は要求されていない。むしろ持てるものを十分に用いることを期待しておられる。この平凡なことが意外に難しく、ここに成長する余地がある。
③今しかできないこと。
貧者への施しは尊いことであるが、いつでもできることである。しかし、主に香油を注ぐことは、この時を逃すと二度とできなかった。私たちも、時機を逸することなく、主の時と導き、優先順位をわきまえて、今しかできないことに敏感に応答する者でありたい。

Ⅲ マリヤの心。
①感謝にあふれて。
ヨハネ11章でマリヤの弟ラザロは主によって死から甦り、ラザロの遺体に塗るために買った香油は上要になった。だから、主への感謝の表われとしてこの香油を主に注いだ。主が成し遂げられた御業への感謝が、私たちの生活・奉仕の原動力となるように。
②惜しみなく注ぎ出して。
大切に保管されていた香油が、石膏のつぼを割って惜しみなく注がれた。悲しみのための油が、用途を変えて喜びと感謝の表われに用いられた。私たちの内にあるすべてのものが、主の救いに与ったことから、聖なる用途に費やされるために心を開こう。
③埋葬の用意にと、前もって。
マリヤの素直な感謝からの行為を、イエスは自らの死と葬りの備えと意義付けられた。彼女にはその意識はなかったであろう。私たちが深く意識せず、ただ単純に真実に行ったことさえも、主が取り上げて、ご自身のすばらしい計画に組み入れて用いてくださる。

<結論> マリヤのしたことは、時代を越え、地域を越えて、福音とともに記念されている。ささやかで平凡なことであっても、主の御前に心から果たさせていただこう。(H.M.)

 

                       
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