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礼拝(2010年4月4日)

『わたしは世に勝った』ヨハネの福音書16章32~33節)2010.4.4.

*イースターおめでとう。世界中のニュースの中で、「主がおよみがえりになられた《という知らせほど、素晴らしい知らせはない。今朝は主の勝利宣言と言われているところから、その真意に触れながら、主とともに黄泉にまでくだり、よみがえりのいのちに触れてみたい。
Ⅰ 【世にあっては艱難があります】
①主の受難。
*主の受難物語は福音書の中心で、教会は毎年これを受難週として記念してきた。バッハはマタイとヨハネ受難曲を作曲し、毎年これを聞いて主の受難を記念してる人々もいる。なぜ主はこの苦しみを受けなければならなかったのか。これが神のご計画であった。
②信仰者の艱難。
*主は「艱難がある《といわれた。ここにこの世の本質がある。人々はこの世を欲を満たし、夢を実現し、幸福を追求するところと考えている。この世は沼地である。どんなにさらっても良いものは出てこない。艱難こそこの世の本質であることを銘記すべきである。
③この世の混沌。
*昔から人々はこの世に生を受けて楽園を求めてさまよってきた。金・地位・夢などなどを手に入れようとして。そしてそれはきわどいところで霧散してしまう。実は楽園はケルビムと炎の剣で遮断されている。この世の本質が混沌であることも銘記しなければならない。

Ⅱ 【勇敢でありなさい】
①主の黄泉降下。
*人類はみな閉塞感を感じている。生きること事態が息苦しい。世のこの救いがたい状況に対して、主は行動を起こされた。これが主の受難物語である。この世はサタンの支配下にある。それを打破するには主が彼らの居城黄泉にまで下らなければならなかった。
②人生のどん底。
*次に主が働いておられるのは、信じる者たちが主に対して絶対的な信頼を置くまで訓練されることである。多くの人にとってこの世はまだ何か自分に答えてくれるところと思っている。おそらく一生に一度か何度かは「どん底《を経験しなければ紊得できない。
③この世の本質。
*この世の本質は多くの悩む人苦しむ人絶望の人によって、再現されている。この人々は哀れな人である。同情すべき人である。しかし決して特別な方々でない。彼らだけでなく私たちもどん底と一歩の差であり、神の救いと助けを切に望んでいるべきである。

Ⅲ 【わたしは世に勝った】
①死人の中からのよみがえり。
*主は生涯を通してご自身の十字架が避けられないことを知っておられた。こうして十字架から黄泉へと降りていかれた。キリストの清い生き方が、上潔なところに閉じ込めておくことができなかった。キリストはご自分の父への従順によってよみがえって来られた。
②主によって。
*主は「わたしは世に勝った《といわれる。主のこの事実以外に囚われの人類を解放する道はどこにもなかった。イースターが私たちにとってだけでなく、人類全般に対しても希望であり良いニュース(ゴスペル)である。信じる者は主によって勝利したのである。
③世界の回復。
*この世はサタンの王国であり、その中に生きるものはアダムの罪を背負っているをいう事実に目覚めたとき、主の勝利が吸引ポンプによって引き込むように、勇気と勝利を与えていただくことができる。一人ひとり回復することによってやがて世界は回復される。

<結論>*改めてイースターを喜びながら、閉塞間の満ちたこの世界に向かって、主の復活のいのちを生きることによって、世の光として輝かせていただこう。今日から七週目がペンテコステ。今年もよりいっそう主のいのちに深く入って行きたい。(A.S.S.)

 

                       
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