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礼拝(2010年5月9日)

『待ち望みの10日間』ルカの福音書24章50~53節)2010.5.09.

*いよいよ主は天に帰って行こうとしておられる。弟子たちには長くて短い、御父の約束による待ち望みと祈りの期間が始まった。復習もかねてではあるが、この期間が意味するところをじっくりと考察したい。ここには多くのものが詰まった時間の缶詰がある。

Ⅰ 【受難週からペンテコステまで】
①一週間の受難週。
*受難週から復習しながらペンテコステまでを展望する。パームサンデーは群集の期待によって始まったが、同時に弟子たちにとっても誇りに満ちていた。しかしそれも月と火の二日だけであって、水曜日からは群集から身を隠し、ついに十字架へと突き進んだ。
②40日間の顕現の日々。
*十字架によって弟子たちはどん底へと落とされたが、三日目イエスは復活され、40日間にわたって弟子たちに顕現された。最初女たちに、次にペテロそして11人の弟子へと顕現された。徐々に弟子の数は増し、疑いの日々も信仰と希望へと変えられていった。
③10日間の待ち望み。
*40日間の顕現の後、イエスはベタニヤへの道のオリーブ山付近で、弟子たちの目の前で天に上げられた。彼らはすぐエルサレムに入り、宮において神を賛美し、二階の部屋に帰っては祈りに専念した。この待ち望みの後に、ペンテコステの日、聖霊の火はくだった。

Ⅱ 【驚きに満ち満ちた日々】
①現実のイエス。
*40日間に彼らが見たイエスは、すっと現われては消える上思議な面があったが、手をさして触らせ、焼き魚をむしゃむしゃ食べて見せたりした。確かにこの世に生きる人間と違うところがある。しかし私たちと同じ肉体であることには違いない。そんなイエスであった。
②祝福のうちに。
*「祝福しながら、彼らから離れて行かれた《。それはどんな光景であっただろうか。イエスが確かに今天におられることがはっきりと分かるかたちの離れ方であった。この離別は悲しみではなく、上思議な喜びへと変わるものであった。彼らは大きな期待を持った。
③喜びと希望の待ち望み。
*それは新しいことが始まる予感をさせた。「さあ、エルサレムへ帰ろう《と。それは最後の晩餐を持ったエルサレムの二階の部屋であった。ここはすでにエルサレム教会として準備されたところであった。はちきれるような喜びと期待をもって彼らは都を目指した。

Ⅲ 【たましいの時間】
①カレンダーの時間。
*カレンダーの時間としては、受難週からにしても2ヶ月足らずで、待ち望みの期間は10日、しかしこの期間に数千年の缶詰が開かれたようなそんな重厚な時間であった。時計で測られる時間は、たましいの時間とは全く違った原則であることもここから知ることができる。
②永遠とつなぐ時間。
*旧約の預言者たちが語った、「その日が来る《とは、メシヤによる贖いが完成し、御父の約束された聖霊が下ったペンテコステを指していた。この日、時計の時間と永遠とが接触した瞬間であった。こうして永遠と架け橋がかかった時代が始まったのである。
③生きた時間。
*2000年前のペンテコステから、この世界に二つの時間が流れた。一つはアダム以来の決着のない死の時間である。今ひとつはペンテコステから始まった、いのちの時間である。今朝のメッセージとは、このイエスにはじまったいのちの時間へ移りなさいである。

<結論>*いのちの時間へ移るためには、魂を貧しくすること、無にすることである。この世に生きたままでは、永遠は入ってこない。祈ろう。「主よ、私をあなただけのものにしてください。今日から聖霊に導かれて生きる者としてください《と。(A.S.S.)

 

                       
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