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礼拝(2010年5月16日)

『勝ち得て余りある人生』(sⅡ)創世記45章1~8節)2010.5.16.

Ⅰ 【ヨセフの生涯】
①ヤコブの12人の息子(族長)
 「ルベン」「シメオン」「レビ」、「ユダ《「イッサカル《「ゼブルン《(姉レア)。
 「ヨセフ」「ベニヤミン」(妹ラケル)。 「ガド《「アシェル」(ジルパ‐レアの女奴隷)。
「ダン」「ナフタリ」(ビルハ‐ラケルの女奴隷)
②兄弟たち(ルベン、ベニヤミンを除く)によってイシュマエル(ミデアン?)人に売られる。
 →エジプトでパロの廷臣ポティファル→牢獄。
 →パロの宰相に→父ヤコブと兄弟たちエジプトへ。
③ヨセフはこれらの苦労の背後に神が関わっておられ、全てが、神の摂理であったことを知った(45:5~8)。
 父や,兄弟だけでなく,パロの家臣も(45:2)=他への証し。

Ⅱ 【全ての背後に『神』は居られるか?】
①ヨセフが兄たちの恨みを買って「殺されてしまったら」=the end 全て終わり。しかし、幼いヨセフがエジプトへ売られる。
 →このことを「最暗黒《と見るか。いや命は取り留めている=一条の光、「希望につながっている《と見ることはできないか?=できる。
 それどころか、このことは、一族が生き残るためにはこの方法しかなかった。 「最悪」⇔「最善」 「モ*セ」は川に流された。⇔the end?
②最暗黒時に、一条の光=最善の始まり。
 「カヤパ官邸」で主がローマ兵に捕まった。「最暗黒」の正にその時「鶏」が鳴いた。
 「鶏」はかすかながら,しかし「確かに光がある」ことをペテロに知らせた.二度も。
③神様をも見失い,「西穂高」ロープウェインの最終にも乗り遅れ「最暗黒」としか思えなかった、あの日すでに星は光り始めていた。
 小さな、「一つの星」にしか見えなかった「光」それは「途轍もなく大きな、大きな神様の命」につながっていた。

Ⅲ 【「絶望」は愚か者の結論である】
①クリスチャン=キリストの十字架によって「神様の子供《=神との契約者。
 =神様は、その子供の成育や環境を守る義務がある。
私たちはそれを要求する権利がある。キリストのゆえに=祈り。
②神様は真実な方(契約の対象者に真実を求める)=然るに我々の人生に困難や苦痛があるのはなぜ?
 わたしの困難と苦痛→神はそれらの困難や苦痛よりもわたしを守る力が弱い? ゆえに今私は苦しんでいるのか? 悪いのは神様か?
③それとも、わたしの困難や苦痛、の捉え方に問題がある?
 「ヨセフ《の困難苦労は、その一族が生き残り「神の選民《を創るためでした。
 「モーセ《は選民を導くための指導者としての訓練を必要とした。
※ クリスチャンは、「キリストの功し《によって神の子供であり、全ての災難困難から、  神様に守られる権利がある。
 ・しかしまた子供は、その生涯を「有意義なもの《となるために(「良い人生だった《と言える人生になるために)、親の「愛のゆえの訓練《を受ける権利がある。
 親の注意も、叱られることも無くほったらかしにされるほど惨めな関係もあるべきではない。
 愛情のある本等の親は、ときにそれは厳しいと思えることがあるとしても、それはその子供には、今がそのことを学ぶには、最善のチャンスであるとするならば、愛情豊かな神はやり過ぎないように手加減をしながら、また守りの手をいつでも出せる準備をして「訓練」する。
 「今はそのことが解からないとしても後悟るべし《。ロマ8:18ヘブル12:7~11
 あなたの「勝ち得て余りある人生《はすでに始まっているのです。今度はステップⅡです・
 「絶望は愚か者の結論である」(聖書の究極の結論) (n・t)

 

                       
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