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礼拝(2010年5月30日)

『手紙の締めくくりのことば』Ⅰコリント16章15~24節)2010.5.30.

*前回の講解は三ヶ月以上前の2月14日に行っている。やっと今朝ここに戻ってくることができた。私たちは手紙の講解を通して、初代教会の空気を呼吸してきたが、このことによって、同じ聖霊が2000年の時代を越えて働いておられることが実感できたと思う。

Ⅰ 【教会の成長】
①ステパナの家族(Ⅰコリント1:16)。
*この家族はアカヤ州の初穂であってパウロから直接バプテスマを受けた。その後コリントの教会は問題を抱えながらも大きく成長したのは、この家族が中心にしっかりと構えていたからである。いずれの教会も上思議なように主が中心的な人物を用意しておられる。
②加わった人々。
*こうした中心的な人々の奉仕があったから、この教会に次から次と救われる人が加えられてきた。このことは今から2000年前の教会にもそうであったように、今日の教会にも言えることである。主は昔も今も同じことをしておられる。だから朊従することが大切である。
③パウロの喜び。
*コリントからエペソにいたパウロのところに数人が来た。このことがパウロにとってどんなに励ましになったことか。教会はいろいろ問題を抱えることがある。しかし決して失望してはならない。互いに励ましあうことこそが、教会にとって大切なことである。

Ⅱ 【教会の交わり】
①アジヤの諸教会。
*アジヤの伝道はエペソから始まった。するとそこで救われた人々が、後に七つの教会と言われた教会を次々と設立して行った。使徒19:10には、「アジヤに住む者はみな《みことばを聞いた、という。コリントの伝道はこうしてアジヤの教会の後ろ盾で行われた。
②アクラとプリスカ(使徒の働き18:2)。
*この夫婦はパウロとコリントで開拓伝道を始めてから、エペソでも伝道の協力者であった。コリントの信者の中にも彼らに恩義を感じる人々がいた。エペソでは彼らの家が教会となっていて、当時このようにして集まるところは「家の教会《と言われていた。
③すべての兄弟たち。
*エペソとコリントはエーゲー海を挟んで対岸で約300km、陸路を回れば1000kmを越える。それでも当時の教会は交流があった。彼らが信仰の交わりと助け合いが如何に大切であったかを知っていたからである。彼らは民族を超えて国を越えて、交わりをしていた。

Ⅲ 【終りの挨拶】
①自筆のあいさつ(:211:1)。
*この手紙の筆記者はソステネであったが、ここでパウロはその筆を取り上げて自筆の挨拶を書いている。パウロは眼が悪かったといわれている。それで手紙を書くときには筆記者を使ったが、終りの挨拶だけは、大きな字で自筆で書いたと伝えられている。
②当時行われていた挨拶(:22)。
*当時クリスチャンの間で行われていた挨拶に、「アナマテ、マラナ・タ《と言うのがあった。22節がその意味であるが、彼らが終末信仰に生きていた様子がうかがえる。この緊張感が彼らの信仰的いのちであった。時代がいつまでも続くと考えるところに弛緩がある。
③パウロからの挨拶。
*「私の愛《と最後に書いている。パウロの心はキリストへの愛、教会への愛に燃えていた。それは兄弟姉妹ひとりひとりへの愛であった。パウロはもともとは激しい情熱の人であったが、主を信じてからは、彼の心に注がれた愛が点火され燃え続けたのである。

<結論>*私たちは毎週礼拝に集っているが、互いに顔を見ていることだけでも励まされている。もっと声を掛け合って祈り合って、今の時代への証しを、果たさせていただきたい。この手紙の講解を終えることができたことを心から感謝しつつ。(A.S.S.)

 

                       
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