[戻る] ホームページ 礼拝説教 2010年の説教

 

礼拝(2010年6月6日)

『信仰って何』聖書へブル11:1~312:1~3)2010.6.6.

序 第一聖日は伝道礼拝となっておりますので、クリスチャンの根本的な「信仰」  ということについて考えてみようと導かれました。

Ⅰ 【信仰〈ギ〉ピスティス)】。信じる(〈ギ〉ピステューオー)*新約聖書278回(新改訳)
①広辞苑*信じ尊ぶこと。神聖なもの(神をも含む絶対者)に対する畏怖からよりは、親和の情から生ずると考えられ、儀礼と相俟って宗教の体系を構成し、集団性および共通性を持つ。
②新キリスト教辞典―信仰とは十分な理由または証拠があるという知性の判断によって引き起される意思的確信である《
③新聖書辞典*神に対する信頼,そしてそこから当然起る「神のことば(聖書)に対する信頼《を言う。(Ⅱテモ3:16)

Ⅱ 【信仰=信じること。自分の意思で「今日から私は神様を信じます」と決心すること。
① 信仰は、物ではないー手で触る、心の中に存在を感じることのできる、神の恵みを得ることのできるお金、天国への通行券、のごとき「物」ではない。
② 対象を信じること=電車の運転手、医者、わが子を預ける保育園の先生,etc
2000年もの間 世界中の人々に読み続けられた、聖書に記録され、記され、すなわち十分な確実な証拠で示されている神様を「私は信仰がないので、神さまを信任することができない哀れな弱い者です」「信仰のない者です」と言う口実をつけて逃げていないか?
③我らは、毎日の生活では、会ったこともない、人間を信用し、全てを(命さえも)任せている⇔しかるに「私は信仰がないので、神さまを信任することができない《などということがあるべきでない。 In God we trust (我らは神を信じる)  

Ⅲ 【特別信仰】。=「キリストは我らの救い主」と信じる こと
① 全ての人間は生まれながらに罪びとである。(ロマ3:23)
② キリストは十字架で、我らの罪を処置された。etc(使徒信条)
③ そのことを信じることが救われる条件、「救われるシステム《
【クリスチャン】=神を信じる人。
・「私には信仰がない」=「アブラハムは神を信じた」(ロマ4:3)―対象は神=「私は神を信じる信仰がない。神を信じることができません《=「神様は偽り者だから《(Ⅰヨハ5:9,10)と言っていること。
・「私には聖霊がない、ゆえに信仰jがない」*聖霊が怠け者で,その働きを十分になさらないから?⇔聖霊は、常に私たちを助けようと待ち構えている。聖霊が来るのを待つのではなく、聖霊が、反って私たちの来るのを待っておられる。(助けたくて、助けたくてしょうがない)
・この事実をありのまま信じる
 「私は神を信じることができる。私は神を信じます。それゆえこの世のすべての力も、どんな出来事も「私をこの神の愛から引き離すことはできない」(ロマ8:35~39)*心に疑いの思いが来そうになった時、声に出して叫んで見ましょう。
適用―今あなたの心が、萎えかけているなら、この信仰を、実際に、神様があなたの訓練のために働きかけておられる、すべてのこと、暗い時間、問題に、投げかける。
これらは、トンネルの中にいるようなものー太陽はトンネルの中にいる人には見えなくとも、照らすことをやめたのではない。今は見えなくとももうすぐ出口です。
あのカヤパ官邸のペテロに、ほのかな、しかし確実に希望の明かりがあることを鶏が教えています。大雨を降らす黒い雲が覆っていても、その雲の上には、太陽は降り注ぐことをやめない。
忍耐して、信仰を持って、あなたをでは無く神様を信じて待ちましょう。 (Ⅰペテ1:6,7) へブル12:1~3                (n・t)

 

                       
2010年度説教要旨2009年度説教要旨2008年度説教要旨2007年度説教要旨
2006年度説教要旨2005年度説教要旨2004年度説教要旨
聖日礼拝の手引き 用語の解説