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礼拝(2010年6月20日)

『幸せって?』ローマ人への手紙4章1~8節2010.7.4.

序①まず生きていることは希望へつながっている ②私たちは,力ある神を味方としている  ③信仰とは、神を信じること ④十字架は、過去の罪を処置しただけではなく、今現在を生きるために「今の罪の力」に勝利させる。

Ⅰ 【勝利ある生涯の秘訣】
①父なる神が、子なるキリストをこの地上に遣わされたのは、アダムの子孫である人間、すなわち我々が、今、今日、現在を、罪の支配(サタンの支配)から解放されて「幸いな生涯」を獲得するため。(ルカ1:74,75)
②人間を愛して、一人子をさえ与えてくださった神が、今を生きることに困難している他ないような、力ない救いの方法しかなさることができないなどと思うべきでない。 「勝ち得て余りある人生《(ロマ8:37)は神の保証。
③勝利ある生涯を獲得する方法=クリスチャンとしての生き様が、聖書的であるか?を吟味しつつ生きるために、恩寵の手段(礼拝を守る、聖書を読む、祈り、奉仕等)を励むこと(冷たい律法的でなく、愛の神との魂の交流)

Ⅱ 【重荷を委ねる】
①人間は、律法を、自分の行いによって完全に全うすることはできないことを、創世記から、マラキ書までの旧約聖書から学んだ。ところが、新約の時代になっても、パリサイ、サドカイ派、律法学者らは、そのことを理解せず、守れない仲間を蔑んででさえいた。
②主は、律法を守れない人(誰も守れないのであるが)の「重荷」を担って救うために世に来られた。「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。・・」(マタ11:28)
③委ねる=お任せすること。全身麻酔で、医者の前に仰向けになるごとく。  「すべての荷」を肩から下ろして神様の前に置く。*最も重く厄介な「荷」=自我、自己顕示欲

Ⅲ 【キリストの死の目的と主旨】
①私たちを罪の奴隷から解放し、神とともに生きる(神に祝福された人生を生きる為)(使3:26)
 「死んだ後天国で《と書いてない。ー「この方こそ、ご自分の民をその罪から・・・」(マタ1:21)「我らの生涯のすべての日に・・・」(ルカ1:75)「・・この時代にあって・・」(テトス2:12、14)「自分から十字架の上で・・・それは私たちが、義のために生きるため・・」(Ⅰペテ2:24)
・聖書は、現世にあって罪の力から解放され、主とともに現在を喜んで生きるべきことが、天国での未来の救いよりもはるかに多く説かれている。  「私たちの古い人がキリストともに十字架につけられたのは(信仰を得て、洗礼を受けたのは)、罪の体が滅びて、私たちが、もはやこれからは(死んで後ではなく「今、今日《)罪の奴隷でなく (罪の力からの解放)キリストとともに、神に対して生きる」(ロマ6:6~11)
②私たちは、「力ある主の証人《であって「サタンの証人」ではない。
 今生きることに困難を覚えているなら、その生き方に問題がある?。*「俺が、俺は・・」自分を誇り、他を見下す思いは、「サタンのサタンたるところ」(イザ14:1~,15)
・クリスチャン=己の誉れを求めない人。 *主を指差す(この人を見よ)のがキリスト者の使命*
③クリスチャン=神の選民―「チームジャパンならぬ、チームキリスト者。「俺が、私が《ではなく、神に栄光を現すための「チームキリスト者《―「浦和教会」に、神が期待するのは、小さいが主にあってまとまって証しする教会である。「キリストのチーム浦和」
・監督は「主」*牧師も伝道者も、それぞれが、誰も誇ることなく(「誇るなら主を誇れ《Ⅰコリ1:31共同約)、与えられたポジション(使命)を守る事によって「キリストの体(力ある主を証しする教会)を建てあげるため(エペソ4:1~7,11~15)

※ 結論 幸福な人生の条件=「力あるキリスト《の証し者の条件=自我を磔殺し続ける人。
①主を信じて少々のことに狼狽えない人(詩121)
②「恥じは我が身に栄光は主に」に徹して生きる(ことができる)人(ヨハ8:50)主もそうなさった。
③究極的「幸い」
・神に罪を問われない関係=神との和解がなされた関係(詩32)       (n・t)

 

                       
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