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礼拝(2010年7月11日)

『コヘレトの探求の旅』伝道者の書1章1~3節) 2010.7.11.=信仰の源流を求めて=

*伝道者の書を取り上げることについては、先週の週報(2010.7.4)で大まかを書いておいたが、恐らく私の最後の仕事となることと思う。今朝は序論的に取り上げることになるが、なぜ私がこの書を取り上げることになったかを、ほぼ理解していただくつもりで語りたく願っている。

Ⅰ 【信仰の源流】
①総合的合理主義。
*自然の規則性に人々は早くから気づいていた。ヘブルの知者はここに神による創造を見た。こうした直感を総合的合理主義という。普通、信仰は非合理と言われるが、それは現代の科学主義が取る「各論的」な意味であって、信仰的直感は総論的に合理的である。
②この世界への相対主義。
*とはいえ、この世は人生を悩ます矛盾が山積していて、人はそのすべての原因を知ることはできない。どんなに頭を搾り出しても、これは真理だこれは絶対だと言えるものはない。人はただ「相対の海」でもがいているだけであるが、信仰は天におられる神を見る。
③人生に対する虚無主義。
*伝道者の書は「日の下」と言う条件下での探究の記録である。著者ソロモンは、この世の最高のものを手にしながら虚無の極致に達した。そこにあったのは「空の空」魂を満たすものは何もないという現実であった。実はここまで来なければ神を見ることはない。

Ⅱ 【コレヘトの旅】
①本書の名称について。
*本書が「伝道者の書」と呼ばれるに至るにはルターにまで遡る。原意は「集会を集める者」で、文語聖書以来この名が定着していた。近年「共同訳」において、音訳である「コレヘトの言葉」が採用されたため、おそらく今後はこの流れは避けられないものと思われる。
②イスラエルの王ソロモン。
*著者はイスラエルの王ソロモンである。近年これに疑問が出されているが、よい回答はまだ提出されていない。ソロモンととれば彼の栄華は旧新約聖書にも記録があるし、何も遜色はない。私たちはソロモンの経験に照らして「空の空」の意味を考えることにする。
③人生の試行錯誤。
*ソロモンは、神が彼に与えてくださった富と地位、知恵とチャンを用いて人生の意味の探求に旅立った。その結論が先に来ているが「空の空」何もない。近年、「物質主義」が横行しているが、未だに人々はこの虚無主義を受け入れることに躊躇を感じている。

Ⅲ 【伝道者の書の狙い】
①人はこの世に期待する。
*伝道者の書には人の魂を鋭く貫くメッセージがある。この世は腹を満たし身を包み家族が住む家を提供してくれる。また感性と知性の欲求にも応えてくれる。しかし魂を満たすものは何もない。これが伝道者の結論であるが、人々は今もこの世に何かを期待する。
②この世は本質的に空である。
*ひょっとするとこの世は、五感に映る影に過ぎないのかも知れない。アイシュタインは「宇宙は波である」と言ったが、それは早く回る縄跳びの縄が、そこに架空の形を造るように、この世は本来何もない。人々は空を打つがごとき生き方をしてその魂は疲れ果てている。
③だからこそ、伝道者が派遣された。
*だからこそ、経験を通して真実を知った伝道者がこの世に派遣された。この世は真実を知っている方が来て語らなければ、その本当のことを知りえないそうした世界である。ソロモンに学ぶ者はイエスに学ぶ者である。真実を学んだなら、私たちも伝道者である。

<結論>*「心の貧しい者は幸いです」と主は仰せられた。魂においては充満とどん底とは隣り合わせである。今日はほんの序の口であるが、伝道者の書を通して愛兄姉は、「虚無の向こうに本当の充実がある」ことを掴み取っていただきたい。(A.S.S.)

 

                       
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