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礼拝(2010年8月8日)

『自然の循環をめぐって』伝道者の書1章4~9節) 2010.8.8. =信仰の源流を求めて=

*伝道者が魂において徘徊したところは「日の下《である。すなわち目で見ることができる世界、五感が感じることができる世界である。確かに私たちはこの世界で食べて寝て働いて、喜んだり苦しんだりしている。この世界の実相を知ることの中に、信仰の源流がある。

Ⅰ 【大自然の恵み】
①太陽と空気と水。
*太陽が燦々と降り注ぎ、空気は温められて極と赤道を循環し。海の水は蒸発して上空で雲を作り、山で積み重なり雨となって地を潤す。科学者の語るところによると地球環境は微調整されており、多種多様の生物が生息できる快適な環境をつくっている。
②水のほとりで。
*「水のほとり《ほどに、いのちが安らげる所はない。しかし人類の歴史は逆であった。人々を集めて権力機構をつくり、技術革新によって大都会を経営し、大自然を食い荒らして人類文明を築いてきた。人々は今、この自然環境を取り戻すために立ち上がっている。
③大自然のやすらぎ。
*大海原や林のそよ風に打たれて、快さを感じるのは何だろう。最近よく言われるのは、大自然の恵み「F分の1のゆらぎ《である。人の心を癒すための「神からの贈り物《と言う人もいる。都会の人々が休日には山や海へと出かけるのはそのためである。

Ⅱ 【堂々巡りの物憂さ】
①何のために生きているのか。
*しかし大自然は、ただ循環しているだけである。魂が突然、「何のために生きるのか《と問い始めたなら、自然は何も答えない。生きる環境をつくる循環も、ただ物憂いだけである。食べて見て聞いて、「ああこれで満足した《と言えるものは何もない。
②人生はどこに向かっているのか。
*人間は流れを時間によって意識するが、時間ほど残酷なものはない。前向きの生き方をしていなければ、いやおうなしに圧倒する。もし時間を克朊していなければ、時間に流され、「私はどこに連れて行かれるのか《との思いに抗し切れないことになる。
③確かなものはあるのか。
*「祇園精舎の鐘の声《は有吊であるが、人々は現在でも、「これこそ確かなもの《と思うものに、命を張ってそれを手に入れようとする。しかしそれらは上安定な崖っぷちでしかない。生きることに夢中の間は気づかないが、魂が目覚めたとき、支柱のない自分に戸惑う。

Ⅲ 【魂が求めているもの】
①「日の下《は魂の環境ではない。
*主は「心を騒がしてはならない《と言われた。この世は魂にとっては「風や波《でしかない。食べ物を楽しみ、景色を見て心安らぐことはよい。それはちょうど旅路の途中の休息のようなものである。しかし、ここに天幕を張ろうとすれば、心はざわつくことになる。
②魂は別の環境に生きるものである。
*主は「わたしはぶどうの木、あなた方は枝です《と言われた。私たちはこの世にべったりの生き方をしてきたために、この魂の変換のためには訓練と時間がかかる。主はインストラクターとして真剣に指導していてくださる。一日も早くこの変換を成し遂げたい。
③そのための、魂の超克を。
*大自然は循環しているかも知れないが、時間は一直線である。「何事も創造の初めからのままではないか《と人は言うかも知れないが、そうではない。天の父は、キリストによる世の終わりに向かって、ご自身のご計画を推進しておられるのである。

<結論>*伝道者の書が教えるところは、人はこの世に強い執着を示しているが、ここは魂にとって虚無でしかない。神は魂のためには別の環境を用意しておられる。この世を見極めること。ここに信仰の源流があることをしっかりと学び取りたい。(A.S.S.)

 

                       
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