[戻る] ホームページ 礼拝説教 2010年の説教

 

礼拝(2010年8月29日)

『時の流れと決定論』伝道者の書1章10~18節) 2010.8.29. =信仰の源流を求めて=

*「新しいもの《はないとコヘレトは言う。これは現代の私たちには余りにもニヒリスチックに聞こえる。物質主義が悲観論を彼方へと追いやったのが現代である。しかし、昔は厳しかったから悲観的であったといえるのか。ここで言う虚無とは『この世への絶望《を意味する。

Ⅰ 【新しいことを求めて】
①先の歴史の中に。
*この世の空を知ることができるのは「魂の真実に目覚めた者《だけにゆるされる。この世に対する期待度はそう簡単に消滅しないからである。ソロモンが求めた「新しいこと《とは、目覚めた魂に応える何かである。胃袋の欲求を食物が満たすように魂を満たすものである。
②人間の記憶の中に。
*人々が「これは忘れてはならない《として、記憶にとどめているものの中に、これはと言うものがあるのかも知れない。ソロモンは真剣にそうしたものを求めたが、得ることはできなかった。その探究は決して片手間ではなかった。確かにそれは重労働であった。
③人間の知恵と知識の中に。
*13節の「つらい仕事《とは、当時王たちが行っていた文書収集の仕事であったと思われる。国中に散在する文書を一箇所に集め、国外のものも可能な限り集めて整理し、魂の欲求に応える何かを見出そうとした。しかしそうしたことも徒労の何ものでもなかった。

Ⅱ 【正しいことを求めて】
①曲がったものは曲がったまま。
*今度はこの世に起こるさまざまな出来事の観察によって、何かが見出されるかを探究した。そこで分かったことは「曲がったものはまっすぐにできない《という事実であった。世の中なぜこうなんだと叫んでも、どうしようもないものはどうしようもできないという現実であった。
②なくなったものはもうない。
*それでも世の中には、これは壊さないで欲しいというものがある。そうしたものに限ってどんどん失われていく。良いものはなくなる。これがこの世の現実である。そして、無くなったものはもう再び取り返すことはできない。気づいたら世はどんどん悪化していく。
③人々の記憶からも失われる。
*人は年を取ると、「昔はこうだった《と言う。しかしそんなことは愚痴にしか聞こえない。人々は、どんどんと次のものに目を向けていく。気づいてみれば、時は流れているだけ、上に向かってではなく、むしろ川のように低いほうへと流れているだけである。

Ⅲ 【いのちの木への招き】
①神に求めた知恵と知識(Ⅱ歴代1:10)。
*ソロモンは神に対して「知恵と知識《を求めて与えられたと記されている。これについてはいくつかの逸話が記録されている。その一つにシバの女王の話がある。彼女はソロモンの知恵の視察に来た。彼女は言った。「私が聞いた噂は、真実の半分もなかった《と。
②知識の木がもたらすもの。
*彼の探究はこの知恵を用いて行われたが、それは、「神が与えたつらい仕事だ《と述懐している。これが人間の知恵の限界である。人は知恵を求める。この傾向はエデンの園でエバが「善悪の知識の木の実《を食べたことに始まる。その味は実に苦かった。
③いのちの木を求めて。
*これは確かに神の企みであった。人に自分の知恵、自分の知識、自分の努力、自分の理想にしたいだけのことをさせて、アポリア(行き詰まり)に追い込み、神を求めさせる。神はもうひとつの道をこの日のためにとって置かれた。それがいのちの木への道であった。

<結論>*ひとりの人が神への信仰に到達することは、決して簡単なことではない。この書は、石地のような人間の心を「空の空《という鍬を持って耕そうとしている。この鍬をあなたの心にも打ち込んで、信仰の源泉を澄んだものにしたいものである。(A.S.S.)

 

                       
2010年度説教要旨2009年度説教要旨2008年度説教要旨2007年度説教要旨
2006年度説教要旨2005年度説教要旨2004年度説教要旨
聖日礼拝の手引き 用語の解説